市町教育委員会事務局職員と事務長の合同研修会

 第35回佐賀県公立小中学校事務研究大会は、終わりました。いつものことですが、大会を行うことが目的ではありません。当たり前のことですが、私たち学校事務職員はイベント屋さんではありません。研究大会は、日々の学校事務業務をより良くするための手段であり道具です。「大会を使って何をするのか」「次の学校事務業務や行動につながる研究大会」であることが、重要だと思っております。研究大会や研修会は、「明日につながる学校事務」を創造していく場です。当然、成果が出ない研修会は、「結果無価値」のようなものです。研究大会や研修会は、評価を行い、それが日々の業務をどれだけ改善したかを見る時代なのです。
 昨年度から佐賀県の学校事務が、行なっている「市町教育委員会事務局予算担当課長・市町立学校統括事務長及び事務長との合同研修会」を紹介します。今年度の特徴は、市町教育委員会事務局職員から「市町教育委員会事務局予算担当課長」と明記したことです。一歩前進しています。研修会を行うだけなら、誰でもできます。しかし、今年は、昨年以上の成果を出したいと勢い込んでおります。
 佐賀県の共同実施組織体制では、このような仕掛けを次々に作っています。これが共同実施なのです。共同実施という組織によって学校運営支援室長に「責任と権限」を生み出し、この権限を統括事務長にまとめてより大きな組織にしていきます。このようなことができてこそ、共同実施だといえます。共同実施を矮小化して理解してはいけません。共同実施による組織化が持つ大きな可能性について研究していきましょう。 

市町教委事務局職員との合同研修会
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学校事務職員が市町村合併を考える。

 市町村合併は、一段落したようですが、これを確認してみます。平成の大合併を平成11年度からとすると当時3,232市町村であったものが、一段落した平成22年度末には、1727市町村へ、減少率は、46.6%となっています。明治以降、市町村合併(地方自治の単位の再編)が問題となったのはこれが3回目です。
 ① 1回目は、明治23年(1890年)にそれまで江戸期の村単位が中心であったのを、単位があまりに小さく行政能力が無いために、もっと大きな単位に再編しようとした動きです。これを「大区・小区制」と言います。
 江戸時代の村は、いわゆる当時の生活単位(生活圏)を中心に、小さなものでありました。そこに行政能力を持たせることは、無理と明治政府は見て、町村合併の動きに出たわけです。この目的は、第一に「徴兵事務の円滑化」にありました。目の前に欧米列強の危機が迫り、富国強兵の必要性から、地方の村から円滑に兵隊を集めることが重要だったわけです。事実、その4年後、日清戦争が起こり、日露戦争・第一次世界大戦と戦争の時代に突入していきます。
 このことで、地方の村はある程度の規模を持つようになりました。明治23年以前の旧村は、現在「大字」として、その残骸を残しています。ちなみに、私の祖父は、大正の中期に村役場(佐賀市の南、佐賀郡東与賀村)の吏員となりましたが、当時役場職員は村長を含めて6名。一人でいくつもの係りを兼務していたようですが、一番重要な役目は、「戸籍」とそれと密接な関係を持つ「徴兵事務」であったと聞いております。
 また、その時代は「識字率」が低く、読み書きのできない方が相当居られたようです。当然、尋常小学校への就学率も100%とはいかなかったようです。
 このような時代に、尋常小学校に教員以外の「行政職としての学校事務職員」の配置が考えられるでしょうか。当然、無理なわけで、学校経営は、学校職員のすべてである「教員」に任せられていました。このことは、現在に至るもその状況を引きずっています。
 ② 2回目は、ご存知のように昭和28年(1953年)の「町村合併促進法」です。これで、今の行政単位となったわけですが、私の育った旧佐賀郡東与賀村のように、隣の本庄村と西与賀村は佐賀市と合併し、東与賀村のみ合併せずに残ったところなどもあり、中途半端なものとなりました。(戦後の民主主義だから、仕方ないか?)その時の東与賀村の助役が、私の祖父ですから詳しい話を聞いております。やっぱり、村の重役の損得勘定が一番の障害になったのではないでしょうか。
 戦後は、行政需要が増大し、戸籍等の事務は相対的に縮小し、産業・建設・福祉や教育、住民サービスの必要性から行政単位を大きくすることが求められました。このための町村合併でした。これは、今回の目的と同じようなものですが。
 
 教科書には、地方自治の由来を「伝来説」「固有権説」に分けて解説してあります。市町村合併が進行し、全国的に地方自治の単位が再編されました。しかし、学校事務職員の立場から最も気になるのは、市町村教育委員会の行政能力です。2~3人の職員しかいない町村教育委員会事務局も教育委員会事務局ですし、政令指定都市も教育委員会事務局です。戦後一貫して、「地方教育委員会の活性化」が叫ばれてきましたが、なかなか簡単にはいきませんでした。
 横浜市や大阪市等の政令指定都市教育委員会は、大きすぎるようです。しかし、人口1万人未満の地方自治体は、小さすぎます。学校事務は、共同実施の中で「教育委員会と学校の事務の再配分」を考えています。その時に、自治体の規模があまりに違うので「標準モデルを作りにくい」という現実がありました。教育委員会の事務能力から市町村の規模を決めることは、できませんので、現実的には学校運営を事務室の視点で見ていくことになります。
 小中学校運営の自主・自律とこれを支える学校事務を考えた場合、権限移譲の立場で「教育委員会と学校の事務の再配分」が必要です。また、この権限移譲された事務を担える学校事務であらねばなりません。このためには、質の高い学校事務職員の配置と市町村教育委員会事務局との一層の連携・人的交流まで含めた組織改編への展望が必要だと考えられます。「現場主義と権限移譲」というコンセプトそのものが、地方自治の由来と根を一にするものかもしれません。
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